最近、いろいろな団体が活動している様子を、報道で見ます。
「反原発」「反辺野古」「反安保」「反安倍」…などなど「反○○」な人達は、大忙しのようです。
当然、自分達の信念を訴える事は、大切です。
しかし、彼等の声を国民の大半かのような報道には、疑問でしかありません。
それは、彼等の主張が、1か0の全否定しか無いからです。
いろいろな物事には、
光の部分も、陰の部分もあるのは、当然です。
彼等は、この陰の部分に光を当てるから、自分達は、
「絶対正義」であり、それ以外は「悪」なのでしょう。
だから、彼等の主張に議論の余地が感じられません。
反対はするけど、対策は国が考えろって感じに見えて、仕方ないです。
彼等の多くは、
「平和」と「人権」を訴えます。
しかし、自分達の主張を通す目的の為には、手段を選びません。
集団で、恫喝し暴言を投げ掛けています。
黙って居られないから、主張するのは構いません。
しかし、群衆を煽り立てるようなシュブレヒコールは、理解出来ないのです。
平和的に話し合いで解決と言いながら、相手の意見に耳を貸さない。
そして、実力行使。
自分達に都合が良いネガティブなレッテルの垂れ流し。
警察沙汰になっても、逮捕が違法だと、自分達を正当化する。
悪い事でも、自分達の主張の為にはやむ無しだと、責任を相手に押し付ける主張。
最後には、人権侵害だと情に訴える…
と、何でもありです。
彼等の行動を見ていると、
こんな人たちに扇動されて、同調する人が増える事に不安を感じます。
自分達が、少数に見える時は、
「少数の声を無視するな」
と言いながら
多数になってくると
「これが民意だ!この声に従え」
と言う。
ご都合主義なわがままじゃないでしょうか?
少数の反対意見を主張して、母体が増えて声が大きくなると、
反対では無い少数になった人の事を悪人扱い。
どこが、平和主義の人権を大切にしてるのでしょう。
彼等の方が、感情的で暴走しているのでは?
と感じてなりません。
ぽちってしてもらえると励みになります!
「反原発」「反辺野古」「反安保」「反安倍」…などなど「反○○」な人達は、大忙しのようです。
当然、自分達の信念を訴える事は、大切です。
しかし、彼等の声を国民の大半かのような報道には、疑問でしかありません。
それは、彼等の主張が、1か0の全否定しか無いからです。
いろいろな物事には、
光の部分も、陰の部分もあるのは、当然です。
彼等は、この陰の部分に光を当てるから、自分達は、
「絶対正義」であり、それ以外は「悪」なのでしょう。
だから、彼等の主張に議論の余地が感じられません。
反対はするけど、対策は国が考えろって感じに見えて、仕方ないです。
彼等の多くは、
「平和」と「人権」を訴えます。
しかし、自分達の主張を通す目的の為には、手段を選びません。
集団で、恫喝し暴言を投げ掛けています。
黙って居られないから、主張するのは構いません。
しかし、群衆を煽り立てるようなシュブレヒコールは、理解出来ないのです。
平和的に話し合いで解決と言いながら、相手の意見に耳を貸さない。
そして、実力行使。
自分達に都合が良いネガティブなレッテルの垂れ流し。
警察沙汰になっても、逮捕が違法だと、自分達を正当化する。
悪い事でも、自分達の主張の為にはやむ無しだと、責任を相手に押し付ける主張。
最後には、人権侵害だと情に訴える…
と、何でもありです。
彼等の行動を見ていると、
こんな人たちに扇動されて、同調する人が増える事に不安を感じます。
自分達が、少数に見える時は、
「少数の声を無視するな」
と言いながら
多数になってくると
「これが民意だ!この声に従え」
と言う。
ご都合主義なわがままじゃないでしょうか?
少数の反対意見を主張して、母体が増えて声が大きくなると、
反対では無い少数になった人の事を悪人扱い。
どこが、平和主義の人権を大切にしてるのでしょう。
彼等の方が、感情的で暴走しているのでは?
と感じてなりません。
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